辨道話(10)

「又しるべし、われらはもとより無上菩提(ムジョウ ボダイ)かけたるにあらず、とこしなへに受用すといへども、承当(ジョウトウ)することをえざるゆゑに、みだりに知見(チケン)をおこすことをならひとして、これを物とおふによりて、大道いたづらに蹉過(シャカ)す。この知見によりて、空華(クウゲ)まちまちなり。

「又知ることです、我々は元来、無上の悟りに欠けているわけではありません。永久にそれを使用しているのですが、会得することが出来ないために、気ままに考えを起こすことを習慣として、これをまことのものと追いかけることにより、大道を無駄に見過ごしてしまうのです。この考えによって、眼病の者が見る幻の花のように、人の見解は様々です。

あるいは十二輪転、二十五有(ウ)の境界とおもひ、三乗五乗、有仏無仏(ウブツ ムブツ)の見(ケン)、つくることなし。この知見をならうて、仏道修行の正道(ショウドウ)とおもふべからず。

ある人は十二因縁や二十五有を輪廻する世界と思い、また三乗や五乗の修行、仏あり、仏なし等の考えは尽きることがありません。このような見解を学ぶことが、仏道修行の正道と思ってはいけません。

しかあるを、いまはまさしく仏印(ブッチン)によりて万事を放下(ホウゲ)し、一向に坐禅するとき、迷悟情量(メイゴ ジョウリョウ)のほとりをこえて、凡聖(ボンショウ)のみちにかかはらず、すみやかに格外に逍遥(ショウヨウ)し、大菩提(ダイボダイ)を受用するなり。かの文字の筌罤(センテイ)にかかはるものの、かたをならぶるにおよばんや。」

しかし今は、まさに仏の悟りの法に従って万事を投げ捨て、ひたすらに坐禅する時には、迷いや悟り、思量分別の所を越えて、凡夫や聖人の道にたよらずに、速やかに出世間に逍遥して、大いなる悟りを使用するのです。これは経典の文字の方便にたよる者の、肩を並べるところではありません。」

とうていはく、「三学のなかに定学(ジョウガク)あり、六度(ロクド)のなかに禅度(ゼンド)あり。ともにこれ一切の菩薩の、初心よりまなぶところ、利鈍(リドン)をわかず修行す。いまの坐禅も、そのひとつなるべし。なにによりてか、このなかに如来の正法(ショウボウ)あつめたりといふや。」

問うて言う、「仏道修行者の学ぶべき三学(戒律、 禅定、 智慧)の中に定学があり、また菩薩の修する六度(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)の中に禅度がある。これは、共に一切の菩薩が初心から学ぶものであり、賢い人も鈍い人も区別なく修行するものである。今の坐禅もその一つでありましょう。それなのに、なぜこの中に如来の正法が集めてあると言うのですか。」

しめしていはく、「いまこの如来 一大事の正法眼蔵 無上の大法を、禅宗となづくるゆゑに、この問(モン)きたれり。しるべし、この禅宗の号は、神丹(シンタン)以東におこれり、竺乾(ジクケン)にはきかず。

教えて言う、「今、この如来の最も大切な仏法の神髄、無上の大法を、禅宗と名付けたので、この質問が来たのです。知ることです、この禅宗の名称は、中国から東の地域に起ったものであり、インドでは聞かれません。

はじめ達磨大師、嵩山(スウザン)の少林寺にして九年面壁のあひだ、道俗いまだ仏正法をしらず、坐禅を宗とする婆羅門(バラモン)となづけき。

初め達磨大師が、嵩山の少林寺で、九年の間、壁に向って坐禅していると、当時の僧も俗人もまだ釈尊の正法を知らずに、坐禅を宗とする婆羅門と名付けたのです。

のち代代の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす。これをみるおろかなる俗家は、実をしらず、ひたたけて坐禅宗といひき。

また、後の代々の祖師も、皆平常には坐禅を専らにしました。これを見た愚かな俗人は、真実を知らずに、みだりに坐禅宗と言ったのです。

いまのよには、坐のことばを簡(カン)して、ただ禅宗といふなり。そのこころ、諸祖の広語にあきらかなり。六度および三学の禅定(ゼンジョウ)にならつていふべきにあらず。」

今の世間では、坐の言葉を略してただ禅宗と言っているのです。その真意は、祖師方の言葉に明らかです。六度と三学の禅定を学んで、これを言うべきではありません。」

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