行持 下(23)

あはれんべし、正法伝持(ショウボウ デンジ)の嫡祖(テキソ)、いくばくか山中の嶮岨(ケンソ)にわづらふ。潙山(イサン)をつたへきくには、池あり、水あり、こほりかさなり、きりかさなるらん。人物の堪忍(カンニン)すべき幽棲(ユウセイ)にあらざれども、仏道と玄奧(ゲンオウ)と、化成(ケジョウ)することあらたなり。

いたわしいことです。正法を相伝 護持する祖師 潙山禅師は、どれほど山中の険阻に苦労されたことでしょうか。潙山のことを伝え聞くには、池があり、水があり、氷が重なり、霧が重なる所のようです。とても人の堪え忍べる幽居ではありませんが、そこで新たに仏道と幽玄な奥義の教化が行われたのです。

かくのごとく行持しきたれりし道得(ドウトク)を見聞(ケンモン)す、身をやすくしてきくべきにあらざれども、行持の勤労すべき報謝をしらざれば、たやすくきくといふとも、こころあらん晩学、いかでかそのかみの潙山を目前のいまのごとくおもひやりてあはれまざらん。

我々は、禅師がこのように行持して来たという話を見聞しました。これは身を正さずして聞くべき話ではないけれども、行持に力を尽して報恩感謝することを知らなければ、安易な気持ちで聞くことになるのです。しかし、心ある晩学後進ならば、どうして当時の潙山を目前に想像して感銘を受けないものでしょうか。

この潙山の行持の道力化功(ドウリキ ケコウ)によりて、風輪うごかず、世界やぶれず、天衆(テンシュ)の宮殿(グウデン)おだいかなり、人間の国土も保持せるなり。潙山の遠孫(オンソン)にあらざれども、潙山は祖宗なるべし。

この潙山の行持の道力 教化の功徳によって、世界の根底は動かず、世界は壊れず、天人たちの宮殿は穏やかであり、人間の国土も保たれているのです。我々は潙山禅師の法孫ではありませんが、潙山禅師は祖先なのです。

のちに仰山(ギョウザン)きたり侍奉(ジブ)す。仰山もとは百丈先師(ヒャクジョウ センシ)のところにして、問十答百(モンジュウ トウヒャク)の鶖子(シュウシ)なりといへども、潙山に参侍(サンジ)して、さらに看牛(カンギュウ)三年の功夫(クフウ)となる。近来は断絶し、見聞することなき行持なり。三年の看牛、よく道得を人にもとめざらしむ。

潙山禅師のもとへ、後に仰山が来てお仕えしました。仰山は、もと亡き師 百丈禅師の所で、十問われれば百答える舎利弗(しゃりほつ)のような知恵者でしたが、潙山禅師にお仕えして、さらに牛(本来の自己)を見る三年の精進をしました。それは近来では絶えて見聞しない行持でした。牛を見る三年の修行は、言葉で言い表せないほど素晴らしいものでした。

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