行持 下(28)

山僧(サンゾウ)今日、諸人の面前(メンゼン)に向かって家門を説く、已(スデ)に是れ便りを著(ツ)けず。

山僧(私)は今日、皆の前で仏祖の家風を説いたが、これさえすでに余計なことである。

(アニ)更に去って陞堂入室(シンドウ ニッシツ)し、拈槌竪払(ネンツイ ジュホツ)し、東喝西棒(トウカツ セイボウ)して、眉を張り目を怒らし、癇病(カンビョウ)の発するが如くに相(アイ)似たるべけんや。

どうして更に法堂で説法したり、室内で一人一人指導したり、槌を手に取ったり、払子を立てたり、東西に喝や棒を行じて、眉を吊り上げ目を怒らして、癇癪を起こしたようなことをする必要があろうか。

(タダ)上座(ジョウザ)を屈沈(クッチン)するのみにあらず、況(イワン)や亦(マ)た先聖(センショウ)に辜負(コフ)せんをや。

それはただ修行僧をおとしめるだけでなく、更に昔の仏祖にも背くことになろう。

(ナンジ)見ずや、達磨西来(ダルマ セイライ)して、少室山(ショウシツザン)の下に到り、面壁九年(メンペキ クネン)す。

あなた達は知っているであろう。達磨は西方インドから来て少室山の下に行き、壁に向かって九年間坐禅したのであり、

二祖、雪に立ち臂(ヒジ)を断つに至って、謂(イイ)つ可し、艱辛(カンシン)を受くと。

二祖慧可は、達磨の法を求めて雪の中に立ち、自分の臂を断ったのである。それこそ艱難辛苦を受けたと言うことが出来る。

然れども達磨 曾(カツ)て一詞(イッシ)を措了(ソリョウ)せず、二祖 曾て一句を問著(モンジャク)せず。

しかしながら達磨は、それまで二祖に一言も説かなかったのであり、二祖もまた、それまで一言も尋ねなかったのだ。

還って達磨を喚んで、不為人(フイニン)と作(ナ)し得てんや、二祖を喚んで、不求師(フグシ)と做(ナ)し得てんや。

だからと言って、達磨は人のために何もしなかったと言えるであろうか。また二祖は師を求めなかったと言えようか。

山僧、古聖(コショウ)の做処(サショ)を説著(セツジャク)するに至るごとに、便ち覚(オボ)ふ、身を容るるに地無きことを、懺愧(ザンキ)す、後人(コウジン)の軟弱なることを。

山僧(私)は、昔の仏祖の行いを説く度に、身の置き場のない思いをし、後世の人間の軟弱なことを慚愧するのである。

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