行持 下(31)

第三十二祖 大満禅師(ダイマン ゼンジ)は、黄梅(オウバイ)の人なり。俗姓(ゾクショウ)は周氏(シュウシ)なり、母の姓を称(トナウ)なり。師は無父而生(ムフ ニショウ)なり。たとへば李老君(リ ロウクン)のごとし。

第三十二祖、大満禅師(弘忍)は黄梅県の人です。俗姓は周氏であり、母の姓を名乗っていました。禅師は父なくして生まれ、それは李という母の姓を名乗った李老君(老子)に似ていました。

七歳伝法よりのち、七十有四にいたるまで、仏祖正法眼蔵よくこれを住持し、ひそかに衣法を慧能行者(エノウ アンジャ)に附属(フゾク)するゆゑに、正法(ショウボウ)の寿命不断なるなり。

禅師は、七歳で法を受け継いでから七十四歳まで、仏祖の正法眼蔵(正法の真髄)をよく護持して、密かに伝来の袈裟と正法を、慧能行者に託したことで、正法の命脈は今日まで絶えることがないのです。

先師 天童和尚(テンドウ オショウ)は、越上(エツジョウ)の人事(ニンジ)なり。十九歳にして、教学をすてて参学するに、七旬(シチジュン)におよむでなほ不退(フタイ)なり。

先師 天童和尚(如浄)は、越州の人です。十九歳で仏教の学問を捨てて禅門に学び、七十歳になっても修行を止めることはありませんでした。

嘉定(カテイ)の皇帝より紫衣師号(シエ シゴウ)をたまはるといへども、つゐにうけず、修表辞謝(シュヒョウ ジシャ)す。十方の雲衲(ウンノウ)ともに崇重(スウチョウ)す、遠近(オンゴン)の有識(ウシキ)ともに随喜(ズイキ)するなり。

師は、南宋 嘉定の皇帝(寧宗)から紫衣と禅師の称号を賜りましたが、遂に受け取らず、書をしたためて辞退しました。この師の行いを諸方の修行僧は皆 尊重し、諸方の識者も皆 随喜しました。

皇帝 大悦(ダイエツ)して御茶(ギョチャ)をたまふ、しれるものは希代(キダイ)の事と讃嘆(サンタン)す。まことにこれ真実の行持なり。

皇帝も大いに喜んで御茶を賜りました。このように師の行いを知った者は皆、世にも希な事と褒めたたえたのです。まことにこれは真実の修行の姿でした。

そのゆゑは、愛名(アイミョウ)は犯禁(ボンキン)よりもあし、犯禁は一時の非なり。愛名は一生の累(ルイ)なり。おろかにしてすてざることなかれ、くらくしてうくることなかれ。

何故ならば、名利を愛することは禁戒を犯すよりも悪いのです。禁戒を犯すことは一時の過ちです。しかし、名利を愛することは一生の煩いであるからです。これを愚かにも捨てないでいてはいけません。この道理に暗いまま名利を受け取ってはいけません。

うけざるは行持なり、すつるは行持なり。六代の祖師おのおの師号あるは、みな滅後の勅謚(チョクシ)なり、在世(ザイセ)の愛名にあらず。

名利を受け取らないことは仏祖の行いです。名利を捨てることは仏祖の行いです。中国の六代の祖師に、おのおの禅師大師の称号があるのは、皆 滅後に賜った追贈であり、名利のために生前に受けたものではありません。

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