行持 上(15)

これよりのちに、なほ山奥(サンオウ)へいらんとせしちなみに、有頌(ウジュ)するにいはく、
「一池
(イッチ)の荷葉(カヨウ)、衣(キ)るに尽くること無し。
 数樹
(スウジュ)の松華(ショウカ)、食(ジキ)するに余り有り。
 剛
(カエッ)て、世人(セニン)に住処を知られて、
 更に茅舎
(ボウシャ)を移して深居に入る。」 つひに庵を山奥にうつす。

その後、法常禅師は、さらに山奥へ入ろうとして、詩を作って言うに、
「この池の蓮の葉は、衣にするには十分であり、
 数本の松の実は、食べきれないほどである。
 しかし、世間に住みかを知られてしまったので、
 更に草庵を移して山奥に住むとしよう。」 そしてついに庵を山奥へ移しました。

あるとき、馬祖(バソ)ことさら僧をつかはしてとはしむ、
「和尚そのかみ馬祖を参見
(サンケン)せしに、得何道理(トクガ ドウリ)、便住此山(ビンジュウ シザン)なる。」
師いはく、「馬祖われにむかひていふ、即心是仏
(ソクシン ゼブツ)。すなはちこの山に住す。」
僧いはく、「近日
(キンジツ)仏法また別なり。」
師いはく、「作麽生
(ソモサン)別なる。」
僧いはく、「馬祖いはく、非心非仏
(ヒシン ヒブツ)とあり。」
師いはく、「這老漢
(シャロウカン)、ひとを惑乱すること、了期(リョウゴ)あるべからず。任他非心非仏(ニンタ ヒシン ヒブツ)、我祗管即心是仏(ガシカン ソクシン ゼブツ)。」

あるとき、馬祖は試しに師の所へ僧を遣わして質問しました。
「和尚は以前、馬祖に見えて、どんな道理を会得して、この山に住むようになったのですか。」
師は答えて、「馬祖は私に、即心是仏(この心がそのまま仏である)と言った。それでこの山に住んでいる。」
僧が言うには、「馬祖の近頃の仏法は、それとは違います。」
師が言うに、「どのように違うのか。」
僧が答えるに、「馬祖は、非心非仏(心でも仏でもない)と言っています。」
師が言うに、「この老人は、また人を惑わせているようだな。非心非仏と言うなら言っておればよい。私はひたすら即心是仏だ。」

この道をもちて馬祖に挙似(コジ)す。馬祖いはく、「梅子熟也(バイス ジュクヤ)。」

師は、この言葉で馬祖に答えたのです。これを聞いた馬祖は言いました。「梅の実は熟したようだ。」と。

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