行持 上(16)

この因縁(インネン)は、人天(ニンデン)みなしれるところなり。天龍(テンリュウ)は師の神足(ジンソク)なり。俱胝(グテイ)は師の法孫なり。

この法常禅師の因縁は、人間界天上界に広く知られているところです。天龍和尚は師の優れた門人であり、俱胝和尚は師の法孫にあたります。

高麗(コウライ)の迦智(カチ)は、師の法を伝持して、本国の初祖なり。いま高麗の諸師は、師の遠孫(オンソン)なり。

高麗(朝鮮)の迦智和尚は、師の法を受け継いで、本国(朝鮮)に伝えた初祖です。今の高麗の禅僧たちは、皆 師の遠孫なのです。

生前(ショウゼン)には、一虎一象よのつねに給侍(キュウジ)す、あひあらそはず。師の円寂(エンジャク)ののち、虎象(コゾウ)いしをはこび、泥をはこびて師の塔をつくる。その塔、いま護聖寺(ゴショウジ)に現存せり。

師の生前には、一頭の虎と象がいつも仕えていて、互いに争うことはありませんでした。師が亡くなった後に、この虎と象は、石や泥を運んで師の墓塔を造りました。その塔は今でも護聖寺にあります。

師の行持、むかしいまの知識とあるは、おなじくほむるところなり。劣慧(レッテ)のものはほむべしとしらず。

師の行持を、古今の仏法の師とされる人たちは、皆同じように褒めています。智慧の劣った者は、師が褒めるべき人であることを知りません。

貪名愛利(トンミョウ アイリ)のなかに仏法あらましと強為(キョウイ)するは、小量の愚見(グケン)なり。

名利を貪り愛することの中にも、仏法があるだろうと強いて願うことは、小人の愚かな考えなのです。

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