行持 上(4)

第八祖 摩訶迦葉尊者(マカ カショウ ソンジャ)は、釈尊(シャクソン)の嫡嗣(テキシ)なり。生前(ショウゼン)もはら十二頭陀(ヅダ)を行持して、さらにおこたらず。

第八祖 摩訶迦葉尊者は、釈尊の法を継がれた方です。生前には、専ら十二頭陀という欲を捨てた生活を行って、決して怠ることがありませんでした。

十二頭陀といふは、
一つには、人の請
(ショウ)を受けず、日(ヒビ)に乞食(コツジキ)を行ず。亦(マタ)比丘僧(ビクソウ)の一飯食分(イッパンジキブン)の銭財(センザイ)を受けず。

十二頭陀とは、次のような生活法です。
一つには、人から食事に招かれても それを受けず、日々人々に食を乞うて生活する。また僧の一食分の金銭を受け取らない。

二つには、山上に止宿(シシュク)して人舎(ニンシャ)郡県(グンケン)聚落(ジュラク)に宿(シュク)せず。

二つには、山の上に宿泊し、人家や土地の集落には宿泊しない。

三つには、人に従って衣被(エヒ)を乞うことを得ず。人の与うる衣被も亦 受けず。但(タダ)丘塚(キュウチョウ)の間の死人の棄(ス)つる所の衣を取って、補治(ホジ)して之(コレ)を衣(キ)る。

三つには、人に衣服を乞い求めず、また人の与える衣服も受け取らない。ただ丘の墓場に捨ててある死人の衣服を取って、繕い直して着る。

四つには、野田(ヤデン)の中、樹下(ジュゲ)に止宿す。

四つには、野の畑の中や樹の下に宿泊する。

五つには、一日に一食(イチジキ)す。一(アルイハ)は僧迦僧泥(スンカスンナイ)と名づく。

五つには、一日に一回だけ食事をする。これを僧迦僧泥と呼ぶ。

六つには、昼夜不臥(チュウヤ フガ)なり、但(タダ)坐睡(ザスイ)経行(キンヒン)す。一(アルイハ)は僧泥沙者傴(スンナイサシャキュウ)と名づく。

六つには、昼夜に亘って横臥せず、ただ坐して眠り、または静かに歩いて過ごす。これを僧泥沙者傴と呼ぶ。

七つには、三領衣(サンリョウエ)を有(タモ)ちて余衣(ヨエ)有ること無し。亦 被中(ヒチュウ)に臥(ガ)せず。

七つには、三枚の衣(袈裟)だけを持って、他には衣を持たない。また布団の中には寝ない。

八つには、塚間(チョウカン)に在(ス)んで仏寺(ブツジ)の中(ウチ)に在(ス)まず、亦 人間(ジンカン)に在(ス)まず。目に死人の骸骨を視て、坐禅求道(ザゼン グドウ)す。

八つには、墓場の辺りに住んで、寺の中には住まず、また人の中に住まず。死人の骸骨を見て、坐禅して修行をする。

九つには、但(タダ)独処を欲(オモ)いて人を見んと欲(オモ)はず。亦 人と共に臥(ガ)せんと欲(オモ)はず。

九つには、ただ独りでいることを願って、人に会おうと思わない。また、人と共に寝ようと願わない。

十には、先に果蓏(カラ)を食(ジキ)し、却(オワ)りて飯(ハン)を食す。食し已(オワ)りて、復(マタ)果蓏を食することを得ず。

十には、まず木の実や草の実を食べ、その後でご飯を食べる。食べ終わってから、また木の実や草の実を食べない。

十一には、但(タダ)露臥(ロガ)を欲(オモ)って樹下(ジュゲ)屋宿(オクシュク)に在(ス)まず。

十一には、ただ野宿を願って、樹の下の小屋には住まない。

十二には、肉を食せず、亦 醍醐(ダイゴ)を食せず。麻油(マユ)を身に塗(ヌ)らず。

十二には、肉を食べず、また乳製品を食べない。麻油を身体に塗らない。

これを十二頭陀(ヅダ)といふ。摩訶迦葉尊者、よく一生に不退不転(フタイテン)なり。如来の正法眼蔵を正伝(ショウデン)すといへども、この頭陀を退することなし。

これを十二頭陀と言います。摩訶迦葉尊者は、よく一生の間これを守り通しました。釈尊の正法を受け継いだ後も、この頭陀を止めることはありませんでした。

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