行持 上(5)

あるとき、仏言(ブツゴン)すらく、「なんぢすでに年老なり、僧食(ソウジキ)を食(ジキ)すべし。」

ある時、釈尊は迦葉尊者に言いました。「あなたは、もう老年なのですから、修行僧の食事を食べなさい。」と。

摩訶迦葉尊者(マカ カショウ ソンジャ)いはく、「われもし如来の出世にあはずば、辟支仏(ビャクシブツ)となるべし。生前(ショウゼン)に山林に居(コ)すべし。さいはひに如来の出世にあふ、法のうるほひあり。しかりといふとも、つひに僧食を食すべからず。」 如来 称讃(ショウサン)しまします。

迦葉尊者は答えました。「私が、もし如来に出会わなかったならば、独りで悟りを求める修行者になって、一生山林に住んでいたことでしょう。幸いにも如来に出会い、法の潤いを得ることが出来ました。しかし私は、最後まで僧の食事を食べることはありません。」と。釈尊は、迦葉尊者の志を褒めたたえました。

あるいは迦葉、頭陀(ヅダ)行持のゆゑに形体(ギョウタイ)憔悴(ショウスイ)せり。衆みて軽忽(キョウコツ)するがごとし。

又、迦葉尊者は、厳しい頭陀行のために、身体が痩せ衰えていました。他の僧たちは、その姿を見て尊者を軽んじているようでした。

ときに如来、ねんごろに迦葉をめして、半座をゆずりまします。迦葉尊者、如来の座に坐す。

その時に釈尊は、懇ろに迦葉尊者を招いて、自分の座を半分譲られました。迦葉尊者は、釈尊の座に坐られたのです。

しるべし、摩訶迦葉は仏会(ブツエ)の上座なり。生前の行持、ことごとくあぐべからず。

知ることです、このように摩訶迦葉尊者は釈尊の僧団の長老なのです。その生前の行跡は数えきれません。

第十祖 波栗湿縛尊者(バリシバ ソンジャ)は、一生脇不至席(イッショウ キョウフシセキ)なり。これ八旬(ハチジュン)老年の辨道(ベンドウ)なりといへども、当時すみやかに大法を単伝す。

第十祖 波栗湿縛尊者は、生涯 身体を横たえて休むことがありませんでした。この方は、八十歳の老年になってから修行を始められた方ですが、その当時、短期間の中に大法を受け継ぎました。

これ光陰をいたづらにもらさざるによりて、わづかに三箇年の功夫(クフウ)なりといへども、三菩提(サンボダイ)の正眼(ショウゲン)を単伝す。尊者の在胎六十年なり。出胎(シュッタイ)白髪なり。

尊者は、月日を無駄に過ごさなかったことにより、僅か三ヶ年の精進でしたが、仏の正法を受け継ぐことが出来たのです。この尊者は、母の胎内に在ること六十年といわれ、生まれた時には白髪であったそうです。

「誓って屍臥(シガ)せず、脇尊者(キョウ ソンジャ)と名づく。乃至(ナイシ)暗中に手より光明(コウミョウ)を放って、以て経法を取る。」 これ生得(ショウトク)の奇相(キソウ)なり。

「死人のように横臥しないと誓ったために、脇尊者と呼ばれた。又 暗闇の中では、手から光明を放って経典を取り上げたといわれる。」
このように生まれながら不思議な相を得ていました。

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