発菩提心(3)

(ほつぼだいしん)

発心(ホッシン)とは、はじめて自未得度先度他(ジミトクドセンドタ)の心をおこすなり。これを初発菩提心(ショホツ ボダイシン)といふ。

発心(菩提心を起こす)とは、初めて自未得度先度他(自らが悟りの浄土へ渡る前に、先ず他を渡す)の心を起こすことです。これを初発菩提心といいます。

この心をおこすよりのち、さらにそこばくの諸仏にあふたてまつり、供養したてまつるに、見仏聞法(ケンブツ モンポウ)し、さらに菩提心をおこす、雪上加霜(セツジョウ カソウ)なり。

この心を起こしてから、更に多くの仏たちにお会いして供養し、法を聞いて更に菩提心を起こすのです。そうしてその心を更に堅固にするのです。

いはゆる畢竟(ヒッキョウ)とは、仏果菩提(ブッカ ボダイ)なり。阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラサンミャクサンボダイ)と格量せば、劫火螢火(ゴウカ ケイカ)のごとくなるべしといへども、自未得度先度他のこころをおこせば、二無別(ニムベツ)なり。

いわゆる畢竟とは、仏の悟りのことです。仏の無上の悟りと初発菩提心とを比べれば、世界を焼き尽くす大火と蛍火ほどの違いがあるように思われますが、自未得度先度他の心を起こせば、この二つに区別はないのです。

「毎(ツネ)に自ら是の念を作(ナ)す、何を以てか衆生(シュジョウ)をして無上道に入り、速やかに仏身を成就(ジョウジュ)することを得しめん。」

「私はいつもこのように心に念じている、どうすれば人々が無上の仏道に入り、速やかに仏となることが出来るだろうかと。」

これすなはち如来の寿量(ジュリョウ)なり。ほとけは発心 修行 証果(ショウカ)みなかくのごとし。

これがつまり如来の無量の生命なのです。仏の発心 修行 悟りとは、皆この通りなのです。

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