一百八法明門(5)

(いっぴゃくはち ほうみょうもん)

衆生(シュジョウ)の為には是れ法明門、他を毀訾(キシ)せざるが故に。

(31)衆生のためにの願行は法明門(聖者の道に入る門)である。それは他を謗らないからである。

法の為には是れ法明門、如法(ニョホウ)にして行ずるが故に。

(32)法のためにの願行は法明門である。それは法の通りに行じるからである。

時を知るは是れ法明門、言説(ゴンセツ)を軽んぜざるが故に。

(33)時節を知ることは法明門である。それは言説を軽んじないからである。

我慢を摂(オサ)めるは是れ法明門、智慧を満足するが故に。

(34)我慢を治めることは法明門である。それは智慧を満足するからである。

悪心(アクシン)を生ぜずは是れ法明門、自ら護り他を護るが故に。

(35)悪心を起こさないことは法明門である。それは自らを護り他を護るからである。

障礙(ショウゲ)無きは是れ法明門、心に疑惑無きが故に。

(36)煩悩の障りが無いことは法明門である。それは心に疑惑が無いからである。

信解(シンゲ)は是れ法明門、第一義を決了(ケツリョウ)するが故に。

(37)仏法を信じ理解することは法明門である。それによって法の究極の道理を悟るからである。

不浄観は是れ法明門、慾染(ヨクセン)の心を捨するが故に。

(38)身の不浄を観じることは法明門である。それによって欲心を捨てることが出来るからである。

不諍闘(フソウトウ)は是れ法明門、瞋訟(シンショウ)を断ずるが故に。

(39)争い闘わないことは法明門である。それによって怒り争うことが断たれるからである。

不癡(フチ)は是れ法明門、殺生(セッショウ)を断ずるが故に。

(40)道理を知り愚かでないことは法明門である。それは殺生を断つからである。

楽法義(ギョウホウギ)は是れ法明門、法義を求むるが故に。

(41)法の道理を願うことは法明門である。それは法の道理を求めることだからである。

愛法明(アイホウミョウ)は是れ法明門、法明を得るが故に。

(42)法の智慧を求めることは法明門である。それによって法の智慧を得るからである。

求多聞(グタモン)は是れ法明門、法相を正覚(ショウガク)するが故に。

(43)多くの教えを求めることは法明門である。それによって物事の真相を正しく悟るからである。

正方便(ショウホウベン)は是れ法明門、正行(ショウギョウ)を具するが故に。

(44)衆生を導く正しい方便は法明門である。それによって衆生は正しい行いを具えるからである。

名色(ミョウシキ)を知るは是れ法明門、諸の障礙(ショウゲ)を除くが故に。

(45)我が身は色受想行識の五蘊(地水火風の四大元素より成る肉体とその四つの精神作用)の和合であると知ることは法明門である。それはすべての煩悩の障害を除くからである。

除因見(ジョインケン)は是れ法明門、解脱(ゲダツ)を得るが故に。

(46)煩悩の原因を除く智慧は法明門である。それによって解脱を得るからである。

怨親(オンシン)の心無きは是れ法明門、怨親の中に於て平等を生ずるが故に。

(47)怨みも親しみも無い心は法明門である。それによって怨みや親しみの中に平等が生まれるからである。

陰方便(オンホウベン)は是れ法明門、諸の苦を知るが故に。

(48)色受想行識の五蘊(地水火風の四大元素より成る肉体とその四つの精神作用)の方便説を明らかにすることは法明門である。それによってすべての苦を知ることが出来るからである。

諸大平等は是れ法明門、一切和合の法を断ずるが故に。

(49)万物は地水火風の四大元素の和合であり、普く平等であると知ることは法明門である。それによってすべての和合の法を断つことが出来るからである。

諸入(ショニュウ)は是れ法明門、正道(ショウドウ)を修するが故に。

(50)眼耳鼻舌身意の六根から入ることは法明門である。それによって正道を修することが出来るからである。

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