道元禅師 正法眼蔵 現代訳の試み

深信因果(1)

(じんしんいんが)

百丈山(ヒャクジョウザン)大智禅師(ダイチ ゼンジ)懐海和尚(エカイ オショウ)、凡(オヨ)そ参の次(ツ)いで、一(ヒト)りの老人有って、常に衆に随って法を聴き、衆 退(シリゾ)けば老人も亦退く。忽(タチマ)ち一日退かず。

百丈山の大智禅師 懐海和尚が説法する時、一人の老人がいつも修行僧の後について法を聴き、終わって修行僧が帰れば老人も帰っていました。ある日、老人は説法が終わっても帰りませんでした。

師 遂に問ふ、「面前に立つ者は復是(マタコレ)何人(ナンピト)ぞ。」
老人曰
(イワ)く、「某甲(それがし)は是 人に非ざるなり。過去迦葉仏(カコカショウブツ)の時に於いて、曾(カツ)て此の山に住す。

そこで師は尋ねました。「私の前に立っている者は誰か。」
老人は答えました。「私は人間ではありません。昔、迦葉仏が世に出られた時代に、この百丈山に住持していた者です。

因みに学人問ふ、「大修行底の人、還た因果に落つるや無(イナ)や。」某甲 他(カレ)に答えて云く、「因果に落ちず。」

その当時、修行者が私に尋ねました。「仏道を大悟した人は因果の法に落ちるものでしょうか、それとも落ちないものでしょうか。」
私は彼に答えて、「因果の法に落ちることはない。」と。

後の五百生(ゴヒャクショウ)、野狐身(ヤコシン)に堕す。今請ふらくは、和尚代わって一転語したまへ、貴(ネガ)ふらくは野狐身を脱せんことを。」

そして私は、後の五百生を野狐の身に堕ちて過ごしました。今日は和尚様にお願いがございます。どうか私に代わってお答えください。私は野狐の身を抜け出したいのです。」

遂に問ふて曰く、「大修行底の人、還た因果に落つるや無や。」 師云く、「因果を昧(クラ)まさず。」

そこで老人は尋ねました。「仏道を大悟した人は因果の法に落ちるものでしょうか、それとも落ちないものでしょうか。」
師は答えました。「因果の法をくらますことはない。」と。

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