深信因果(6)

龍樹祖師(リュウジュ ソシ)云く、「外道人(ゲドウニン)の如く世間の因果を破(ハ)せば、則(スナワチ)今世後世(コンセ ゴセ)無けん。出世の因果を破せば、則 三宝 四諦(シタイ)四沙門果(シシャモンカ)無けん。」

龍樹祖師が言うことには、「外道の人のように、世間の因果を否定すれば、今の世も後の世も無いことであろう。また出世間(出家)の因果を否定すれば、三宝(仏 法 僧)も、四諦(苦 集 滅 道の真理)も、四沙門果(四種の聖者の悟り)も無いことであろう。」と。

あきらかにしるべし、世間出世の因果を破するは、外道なるべし。今世なしといふは、「かたちはこのところにあれども、性(ショウ)はひさしくさとりに帰せり。性すなはち心なり、心は身とひとしからざるゆゑに。」 かくのごとく解(ゲ)する、すなはち外道なり。

明らかに知ることです、世間や出世間の因果を否定する者は外道なのです。
今の世は無いと考える者は、「身体はこの世にあるが、その本性は久しく悟りの世界に帰属している。本性とは心のことであり、心は身体と同じものではない。」と言います。このように考える者は外道です。

あるいはいはく、「ひと死するとき、かならず性海(ショウカイ)に帰す、仏法を修習せざれども、自然(ジネン)に覚海(カッカイ)に帰すれば、さらに生死の輪転なし、このゆゑに後世なし。」といふ。これ断見の外道なり。

またある者は、「人は死ぬと、必ず性海(本性の海)に帰る。仏法を修行し学ばなくても、自然に悟りの性海に帰るので、決して生死輪廻(苦界に生まれ変わり死に変わりし続けること。)することは無い。このために後の世は無い。」と言う。これは断見(全ては死後に断滅するという見解)の外道の考えです。

かたちたとひ比丘(ビク)にあひにたりとも、かくのごとくの邪見あらんともがら、さらに仏弟子にあらず、まさしくこれ外道なり。

姿はたとえ出家に似ていても、このような誤った考えを持つ仲間は、全く仏弟子ではありません。まさしくこれは外道です。

おほよそ因果を撥無(ハツム)するより、今世後世なしとはあやまるなり。因果を撥無することは、真の知識に参学せざるによりてなり。真の知識に久参するがごときは、撥無因果等の邪解(ジャゲ)あるべからず。龍樹祖師の慈誨(ジカイ)、ふかく信仰したてまつり、頂戴したてまつるべし。

およそ因果の道理を無視するから、今の世も後の世も無いと誤るのです。因果を無視することは、まことの師に学ばないことが原因なのです。まことの師に久しく学ぶ者であれば、因果を無視する等の誤った見解はありえません。ですから、龍樹祖師のこの慈悲の教えを深く信じ、頂戴申し上げなさい。

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