深信因果(7)

永嘉真覚大師(ヨウカ シンガク ダイシ)玄覚(ゲンガク)和尚は、曹谿(ソウケイ)の上足(ジョウソク)なり。もとはこれ天台の法華宗(ホッケシュウ)を習学せり。左谿玄朗大師(サケイ ゲンロウ ダイシ)と同室なり。涅槃経(ネハン ギョウ)を披閲(ヒエツ)せるところに、金光(コンコウ)その室にみつ。ふかく無生(ムショウ)のさとりをえたり。すすみて曹谿に詣し、証をもて六祖にまうす。六祖つひに印可(インカ)す。

永嘉真覚大師 玄覚和尚は、曹谿(大鑑慧能)の高弟で、もとは天台の法華宗を学び、左谿玄朗大師(天台の第八祖)と同門の人です。あるとき涅槃経を読んでいると、金色の光がその部屋に満ちて、深く無生の悟りを得ました。そこで自ら曹谿に詣でてその悟りを六祖(慧能)に申し上げると、六祖は遂に印可(認証)しました。

のちに証道歌(ショウドウカ)をつくるにいはく、
「豁達
(カッタツ)の空は因果を撥(ハラ)う、莾莾蕩蕩(モウモウ トウトウ)として殃過(オウカ)を招(マネ)く。」
あきらかにしるべし、撥無因果
(ハツム インガ)は、招殃過(ショウ オウカ)なるべし。

後に証道歌を作って言うことには、
「何事にもこだわらない空の心は、因果の法を払いのけてしまう。それは限りなく多くの災いを招く。」 と。
明らかに知ることです、因果を無視すれば、災いを招くことになるのです。

往代(オウダイ)は、古徳ともに因果をあきらめたり。近代には、晩進みな因果にまよへり。いまのよなりといふとも、菩提心(ボダイシン)いさぎよくして、仏法のために仏法を習学せんともがらは、古徳のごとく因果をあきらむべきなり。因なし、果なしといふは、すなはちこれ外道(ゲドウ)なり。

昔は、仏や祖師となられた方々は皆 因果の道理を明らかにしました。しかし近頃では、後進の者が皆 因果の道理に迷っています。今日の世であっても、菩提心(道心)を清らかにして、仏法のために真実に仏法を学ぼうと志す仲間ならば、いにしえの仏祖のように因果の道理を明らかにすることが出来るのです。原因も無く結果も無いというのは外道です。

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