妙法蓮華経如来寿量品偈(3)

(ミョウホウレンゲキョウ ニョライジュリョウホンゲ)

我が智力(チリキ)は是(カク)の如し、慧光(エコウ)の照らすこと無量にして、寿命は無数劫(ムシュコウ)なり、久しく業(ゴウ)を修(シュ)して得(ウ)る所なり。

私の智慧の力はこの通りである。智慧の光はあらゆるものを照らし、寿命は無量なのである。これは久しく前世に善行を修めて得たものである。

汝等(ナンダチ)智有らん者、此(ココ)に於いて疑(ウタガイ)を生ずること勿(ナカ)れ、当(マサ)に断じて永く尽きしむべし、仏語(ブツゴ)は実にして虚(ムナ)しからず。

賢きお前たちよ、このことを疑ってはいけない。疑いの心を永く断じ尽くしなさい。仏の言葉は真実であり、偽りはないのである。

医の善き方便(ホウベン)をもって、王子(オウジ)を治せんが為の故に、実には在(ア)れども而(シカ)も死すと言うに、能(ヨ)く虚妄(コモウ)なりと説くもの無きが如し。

医者が正気を失った息子を治すよい方法として、自分は実際には生きていながら、父は死んだと言って子を正気にもどしても、だれも嘘つきと非難しないようなものである。

我も亦(マタ)(コ)れ世の父、諸(モロモロ)の苦患(クゲン)を救う者なり。凡夫の顚倒(テンドウ)せるを為(モッ)て、実には在れども而も滅すと言う。

私もまた世間の父であり、人々の苦しみ患いを救う医者である。凡夫は心が転倒しているために、私は実際には滅していないが、あえて滅したと言うのである。

常に我を見るを以ての故に、而も憍恣(キョウシ)の心を生じ、放逸にして五欲に著(ジャク)し、悪道の中に堕(オ)ちなん。

なぜなら、凡夫は常に私の姿を見ていると、驕りの心を生じてほしいままに振る舞い、五欲(財欲 色欲 食欲 名誉欲 睡眠欲など)に耽って悪道に落ちるからである。

我は常に衆生の道を行じ、道を行ぜざるを知って、度すべき所に随応(シタガ)って、為に種々の法を説く。

私は常に人々のあらゆる行いを知り、済度の手立てに応じて様々な法を説くのである。

(ツネ)に自ら是の念を作(ナ)す。「何を以てか衆生をして無上道に入り、速やかに仏身を成就(ジョウジュ)することを得せしめん。」と。

いつも自らこのように念じている。「どうしたら人々を仏の無上道へ導き、すぐにも仏の身を成就させることが出来るであろうか。」と。

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