谿声山色(9)

祖宗師資(ソシュウ シシ)、かくのごとく相承(ソウジョウ)してひさしくなりぬ。菩提心(ボダイシン)はむかしのゆめをとくがごとし。

仏祖の教えは、師から弟子へこのように相承して長い年月が過ぎ、今では菩提心(求道の心)は、昔の夢物語になりました。

あはれむべし、宝山にうまれながら宝財をしらず、宝財をみず。いはんや法財をえんや。

哀れなことです、仏法の宝の山に生まれながらその宝を知らず、宝を見たこともないのです。まして仏法の宝を得ることなど出来ましょうか。

もし菩提心をおこしてのち、六趣四生(ロクシュ シショウ)に輪転(リンデン)すといへども、その輪転の因縁、みな菩提の行願(ギョウガン)となるなり。

もし菩提心を起こした後に苦界に輪廻したとしても、その輪廻の因縁は、皆 菩提心の誓願となるのです。

しかあれば、従来の光陰(コウイン)はたとひむなしくすごすといふとも、今生(コンジョウ)のいまだすぎざるあひだに、いそぎて発願(ホツガン)すべし。

ですから、今までの月日は たとえ空しく過ごしたとしても、今生の終わらない間に、急いで次のように発願しなさい。

「ねがはくは、われと一切衆生と、今生より乃至(ナイシ)生生(ショウジョウ)をつくして、正法をきくことあらん。きくことあらんとき、正法を疑著(ギジャク)せじ、不信なるべからず。

「願わくは、私とすべての人々が、今生から来世の生を尽くして正法を聞くことが出来ますように。また聞くことが出来た時には、正法を疑わず信じることが出来ますように。

まさに正法にあはんとき、世法をすてて仏法を受持(ジュジ)せん。つひに大地有情(ダイチ ウジョウ)ともに成道(ジョウドウ)することをえん。」

そして、まさに正法に会った時には、世俗の法を捨てて仏法を受持し、遂にはこの大地と衆生と共々に、仏道を成就することが出来ますように。」

かくのごとく発願せば、おのづから正発心(ショウホッシン)の因縁ならん。この心術、懈惓(ケゲン)することなかれ。

このように発願すれば、自然に正しい発心の因縁となるでしょう。我々は、この心構えを怠ってはいけません。

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