道元禅師 正法眼蔵 現代訳の試み

袈裟功徳(1)

(けさくどく)

仏仏祖祖(ブツブツ ソソ)正伝(ショウデン)の衣法(エホウ)、まさしく震旦国(シンタンコク)に正伝することは、嵩岳(スウガク)の高祖のみなり。

仏たち祖師たちが親しく伝えてきた衣(袈裟)と法を、正しく中国へ伝えた人は、嵩岳(嵩山)の高祖 達磨大師だけです。

高祖は、釈迦牟尼仏(シャカムニブツ)より第二十八代の祖なり。西天(サイテン)二十八伝、嫡嫡(テキテキ)あひつたはれり。二十八祖、したしく震旦にいりて初祖たり。

高祖は、釈迦牟尼仏から第二十八代の祖師です。釈尊の衣法は、インドで二十八代にわたり、嫡子から嫡子へと親しく伝えられてきました。二十八祖は自ら中国に渡って釈尊の衣法を伝えた初祖であります。

震旦国人五伝して、曹谿(ソウケイ)にいたりて三十三代の祖なり。これを六祖と称す。

その衣法を中国の五人の祖師が順次に伝え、曹谿の大鑑禅師(ダイカンゼンジ)に至って三十三代の祖師であります。この人を六祖と呼んでいます。

第三十三代の祖 大鑑禅師、この衣法を黄梅山(オウバイザン)にして夜半に正伝し、一生護持、いまなほ曹谿山(ソウケイザン)宝林寺(ホウリンジ)に安置せり。

第三十三代の祖師 大鑑禅師は、この衣法を黄梅山で大満禅師から夜半に受け継ぎ、一生護持されました。その衣(袈裟)は、今でも曹谿山宝林寺に安置されています。

諸代の帝王、あひつぎて内裏(ダイリ)に奉請(ブショウ)し、供養礼拝(クヨウ ライハイ)す。神物(ジンモツ)護持せるものなり。

諸代の帝王は、相次いでその衣を宮殿に迎えて礼拝供養しました。また、衣は神霊によって護持されていました。

唐朝 中宗(チュウソウ) 粛宗(シュクソウ) 代宗(ダイソウ)、しきりに帰内供養(キダイ クヨウ)しき。奉請のとき、奉送(ブソウ)のとき、ことさら勅使(チョクシ)をつかはし、詔(ショウ)をたまふ。

唐王朝の中宗や粛宗、代宗などは、たびたび衣を宮内に迎えて供養し、迎える時や送る時には特別に勅使を遣わして詔を伝えました。

代宗皇帝、あるとき仏衣を曹谿山におくりたてまつる詔にいはく、
今、鎮国大将軍 劉崇景
(リュウスウケイ)をして頂戴して送らしむ。朕(チン)、之(コレ)を国の宝と為す。卿(ケイ)、本寺に安置して、僧衆(ソウシュ)の親しく宗旨を承(ウ)くる者をして厳に守護を加へしめ、遺墜(イツイ)せしむること勿(ナカ)るべし。

代宗皇帝が、ある時仏衣を曹谿山へ送るにあたり詔して言うことには、
「今ここに、鎮国大将軍の劉崇景を曹谿山に遣わして、仏衣を押し戴いて送る。私はこの仏衣を国の宝とする。劉崇景は、これを曹谿山宝林寺に安置して、僧衆の中で親しくこの旨を受けた者に厳重に管理させ、紛失させてはならない。」と。

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