袈裟功徳(17)

世尊(セソン)、我れ成仏(ジョウブツ)してより已来(コノカタ)、諸天龍 鬼神 人(ニン)及び非人(ヒニン)、若(モ)し能(ヨ)く此(コ)の著袈裟(ヂャク ケサ)の者に於て、恭敬供養(クギョウ クヨウ)し、尊重讃歎(ソンジュウ サンタン)せん、其(ソ)の人、若し此の袈裟の少分(ショウブン)を見ることを得ば、即ち三乗(サンジョウ)の中に於て、不退(フタイ)なることを得ん。

世尊(宝蔵仏)よ、私が仏となった後には、諸々の天神、龍神、鬼神、人間や人間でない者たちが、もし袈裟を着けた者を敬って供養し尊重し讃歎すれば、又、その人たちが、もしこの袈裟の一部でも見ることが出来れば、すぐに声聞乗(仏の説法を聞いて修行する者)、縁覚乗(縁起の法を観じて修行する者)、菩薩乗(六波羅蜜を行って修行する者)の修行の中で、不退転の力を得ることでしょう。

若し衆生有って、飢渇(キカツ)の為に逼(セ)められ、若しは貧窮(ビングウ)の鬼神、下賤(ゲセン)の諸人、乃至 餓鬼の衆生(シュジョウ)、若し袈裟の少分、乃至 四寸を得ば、即ち飲食充足(オンジキ ジュウソク)することを得、其の所願に随って、疾(ト)く成就(ジョウジュ)することを得ん。

もし、飢えと渇きに責められる人々があり、もしくは貧窮の鬼神や下賤の人々、餓鬼となった人々までもが、もし袈裟の一部か四寸ほどを得れば、すぐに飲食に満ち足りることが出来て、その人の願いは速やかに成就することでしょう。

若し衆生有って、共に相(ア)ひ違反し、怨賊(オンゾク)の想を起こして、展転闘諍(テンデン トウジョウ)せん、若しは諸天龍 鬼神 乾闥婆(ケンダツパ)阿修羅(アシュラ)迦楼羅(カルラ)緊那羅(キンナラ)摩睺羅伽(マゴラガ)狗辨荼(クバンダ)毘舎遮(ビシャシャ)人及び非人、共に闘諍(トウジョウ)せん時、

もし、人々が互いに背き恨んで争い訴えあい、もしくは諸々の天神、龍神、鬼神、乾闥婆(帝釈天に仕える伎楽神)、阿修羅(戦闘を事とする鬼神)、迦楼羅(生竜を常食するという巨大な猛鳥)、緊那羅(帝釈天に仕える歌神)、摩睺羅伽(人身蛇首の大蛇神)、狗辨荼(人の精気を食う鬼)、毘舎遮(血肉を食う鬼)など、人間や人間でない者などが互いに争い訴えあう時には、

此の袈裟を念ぜば、袈裟の力に依って、尋(ツ)いで悲心、柔輭(ニュウナン)の心、無怨賊(ムオンゾク)の心、寂滅(ジャクメツ)の心、調伏(チョウブク)の善心を生じて、還(マ)た清浄(ショウジョウ)なることを得ん。

この袈裟を心に念ずれば、袈裟の力によって、すぐに慈悲の心、柔軟な心、争いの無い心、安らかな心、悪を制する善い心が生まれて、再び清浄になることが出来るでしょう。

人有って、若し兵甲(ヒョウコウ)闘訟(トウショウ)断事(ダンジ)の中に在(ア)らんに、此の袈裟の少分を持して、此の輩(トモガラ)の中に至らん、自護(ジコ)の為の故に、供養し恭敬し尊重せん、

人がもし戦争、闘争、訴訟の中にある時には、この袈裟の一部を持ってこの者たちの中に行き、自分を護るために袈裟を供養し敬い尊重するならば、

是の諸人等、能く侵毀(シンキ)触嬈(ソクニョウ)軽弄(キョウロウ)すること無からん。常に他に勝つことを得て、此の諸難を過ぎん。

これらの者たちは、自分を侵し破ったり、煩わせたり、軽んじたりすることは無いでしょう。そして常に他に勝つことが出来て、この多くの難を越えることが出来るでしょう。

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