袈裟功徳(26)

袈裟を裁縫(サイホウ)するに、割截衣(カッセツエ)あり、揲葉衣(チョウヨウエ)あり、摂葉衣(ショウヨウエ)あり、縵衣(マンエ)あり。ともにこれ作法(サクホウ)なり。その所得にしたがうて受持すべし。

袈裟を裁縫する方法に、割截衣(布を截断して条に縫った衣)、揲葉衣(布の葉を截断せずに貼り付けて縫った衣)、摂葉衣(布の葉を截断せずに貼り付けて縫い、裾が木の葉を集めたようになった衣)、縵衣(一枚の布に縁を付けただけの衣)があります。これらが袈裟の作り方です。その人が得たものでこのように袈裟を作り護持しなさい。

仏の言(ノタマ)はく、「三世(サンゼ)の仏の袈裟は、必定(ヒツジョウ)して却刺(キャクシ)なるべし。」

釈尊の言うことには、「過去 現在 未来の仏が使用する袈裟は、綻びないように必ず返し縫いの方法で縫われている。」と。

その衣財(エザイ)をえんこと、また清浄(ショウジョウ)を善なりとす。いはゆる糞掃衣(フンゾウエ)を最上清浄とす。三世の諸仏、ともにこれを清浄としまします。

袈裟の材料を得るには、それが清浄なことを善とします。いわゆる糞掃衣(捨てられたぼろ布を拾い集めて作った衣)を最上の清浄なものとします。過去 現在 未来の仏たちは、皆これを清浄とされるのです。

そのほか、信心檀那(シンジン ダンナ)の所施(ショセ)の衣、また清浄なり。あるいは浄財をもていちにしてかふ、また清浄なり。

その他、信心の施主から施された衣もまた清浄です。あるいは、浄財によって市で買い求めたものもまた清浄です。

作衣(サクエ)の日限ありといへども、いま末法澆季(マッポウ ギョウキ)なり、遠方辺邦(オンポウ ヘンポウ)なり。信心のもよほすところ、裁縫をえて受持せんにはしかじ。

衣を作る日限は定められていますが、今は末法の末世であり、インドや中国から遠方の辺境にある日本のことですから、信心に促されて裁縫することで、袈裟を護持すればよいでしょう。

在家の人天(ニンデン)なれども、袈裟を受持することは、大乗最極(ダイジョウ サイゴク)の秘訣(ヒケツ)なり。いまは梵王釈王(ボンノウ シャクオウ)、ともに袈裟を受持せり。欲色(ヨクシキ)の勝躅(ショウチョク)なり、人間には勝計(ショウケイ)すべからず。

在家の人間や天人でも、袈裟を受けて護持することは、大乗の教えの究極の秘訣なのです。今では梵天王や帝釈天などが、共に袈裟を受けて護持しています。これは欲の世界や物の世界の中の優れた行跡です。また人間では数えきれないほどの人が袈裟を護持しています。

在家の菩薩(ボサツ)、みなともに受持せり。震旦国(シンタンコク)には、梁(リョウ)の武帝(ブテイ)、隋(ズイ)の煬帝(ヨウダイ)、ともに袈裟を受持せり。代宗(ダイソウ)粛宗(シュクソウ)ともに袈裟を著(ヂャク)し、僧家(ソウケ)に参学し、菩薩戒を受持せり。その余(ヨ)の居士(コジ)婦女(ブニョ)等の、受袈裟(ジュケサ)受仏戒(ジュブッカイ)のともがら、古今(ココン)の勝躅なり。

在家の菩薩の修行者は、皆、袈裟を受けて護持しています。たとえば中国では、梁の武帝や隋の煬帝などが、共に袈裟を受けて護持していました。また唐の代宗や粛宗なども、共に袈裟を着けて、僧侶に学んで菩薩戒を受けました。その他の在家の男子や婦人などにも、袈裟を受けて、仏戒を受けた者たちがあることは、古今に於ける優れた行跡です。

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