袈裟功徳(30)

爾時(ソノ トキ)に世尊、而(シカ)も偈(ゲ)を説いて言(ノタマ)はく、
「智光比丘
(チコウ ビク)、応(マサ)に善(ヨ)く聴くべし、大福田衣(ダイ フクデンエ)に十勝利あり。世間の衣服(エブク)は欲染(ヨクセン)を増す、如来の法服は是(カク)の如くならず。

その時に釈尊は、袈裟の功徳を詩にして説きました。
「僧の智光よ、良く聴きなさい。大きな福の収穫を与える田にも譬えられる袈裟には、十の優れた利益がある。世間の衣服は欲の汚れを増すものだが、如来の袈裟には、このようなことはない。

法服は能(ヨ)く世の羞恥(シュウチ)を遮(サエギ)り、慚愧(ザンキ)円満して福田(フクデン)を生(ナ)す。

袈裟はよく世間の羞恥する行いを遮り、慚愧の心を満たして福を与える田を生む。

寒暑及び毒蟲(ドクチュウ)を遠離(オンリ)し、道心堅固(ドウシン ケンゴ)にして究竟(クキョウ)を得(ウ)

袈裟は暑さ寒さや毒虫を遠ざけ、道心を堅固にして究極の悟りを得させる。

出家を示現(ジゲン)して貪欲(トンヨク)を離れ、五見を断除して正しく修行す。

袈裟は出家の姿を現わして貪欲を離れ、五つの見(我執の見。断常の二見。無因果の見。悪見に執する見。非戒に執する見。)を断ち除いて正しく修行できる。

袈裟 宝幢(ホウドウ)の相を瞻礼(センライ)し、恭敬(クギョウ)すれば梵王(ボンノウ)の福を生(ショウ)ず。

袈裟という宝の旗印を仰ぎ礼拝して敬えば梵天王の福が生まれる。

仏子 披衣(ヒエ)しては塔想(トウソウ)を生ずべし、福を生じ罪を滅し人天(ニンデン)を感ず。

仏弟子は袈裟を身に着けたならば、これを仏の塔であると思いなさい。そうすれば福を生み罪を滅して、人間界や天上界を感化することが出来る。

粛容致敬(シュクヨウ チキョウ)すれば真の沙門(シャモン)なり、所為(ショイ)(モロモロ)の塵俗(ジンゾク)に不染(フゼン)なり。

袈裟を心から敬う人は真の出家であり、その人は様々な世俗の塵に染まることは無い。

諸仏 称讃(ショウサン)して良田と為(ナ)し、群生(グンジョウ)を利楽(リラク)するに此(コ)れを最(スグ)れたりと為す。

諸仏は、袈裟を褒めたたえて福の収穫を与える良田であると言い、また人々に利益と楽を与えるには袈裟が最上であると言う。

袈裟の神力(ジンリキ)は不思議なり、能(ヨ)く菩提(ボダイ)の行(ギョウ)を修植(シュジキ)せしむ。

袈裟の神力は不思議であり、良く悟りの修行の種を植える。

道芽(ドウゲ)増長すること春苗(シュンビョウ)の如く、菩提の妙果は秋の実(コノミ)に類す。

そして仏道の芽は春の苗のように成長し、悟りの果実は秋の実りのように実を結ぶ。

堅固金剛(ケンゴ コンゴウ)の真甲冑(シン カッチュウ)なり、煩悩(ボンノウ)の毒箭(ドクセン)も害すること能(アタ)はず。

袈裟はまことに堅固な金剛の甲冑であり、煩悩の毒矢も害することは出来ない。

我れ今 略して十勝利を讃(サン)ず、歴劫(リャッコウ)に広説すとも辺(ホトリ)有ること無けん。

私は今、略して袈裟の十の優れた利益をたたえたが、これは永劫に説いてもなお説き尽くせないであろう。

若し龍 有りて身に一縷(イチル)を披(ヒ)せば、金翅鳥王(コンジチョウオウ)の食(ジキ)を脱(マヌガ)るることを得ん。

もし龍が、袈裟の一筋の糸を身に着ければ、金翅鳥王に食べられることも無いであろう。

若し人 海を渡らんに此の衣を持せば、龍魚諸鬼の難を怖れじ。

もし人が、海を渡る時にこの袈裟を持てば、龍魚や様々な悪鬼の難も怖くはないであろう。

雷電霹靂(ライデン ヘキレキ)して天の怒(イカ)らんにも、袈裟を披(キ)たらん者は恐畏(オソレ)無けん。

雷や稲妻が激しく鳴り響いて天が怒ろうとも、袈裟を着た者は怖れることが無いであろう。

白衣(ビャクエ)若し能く親しく捧持(ホウジ)せば、一切の悪鬼 能く近づくこと無けん。

在家の者が、もし親しく敬って袈裟を持てば、すべての悪鬼は近づくことが出来ないであろう。

若し能く発心(ホッシン)して出家を求め、世間を厭離(エンリ)して仏道を修せば、十方の魔宮(マグウ)皆振動し、是の人速やかに法王の身を証せん。」

そして、もし発心して出家を求め、世間を厭い嫌って仏道を修行したならば、すべての悪鬼の住み家は皆振動し、この人は速やかに仏身を悟ることであろう。」

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