袈裟功徳(32)

中阿含経(チュウ アゴンキョウ)に曰(イワ)く、「復(マ)た次に諸賢、或いは一人有りて、身は浄行(ジョウギョウ)に、口意(クイ)は不浄行(フジョウギョウ)ならんに、若し慧者(エシャ)見て、設(モ)し恚悩(イノウ)を生(ショウ)ぜば、応当(マサ)に之(コレ)を除くべし。

中阿含経に言うことには、「また諸賢よ、仮にある人が、身の行いは清浄で言葉や心の行いが不浄である時、もし智慧ある者がこの人を見て怒りの心を起こしたならば、この怒りは除かなければならない。

諸賢、或いは一人有りて、身は不浄行に、口意は浄行ならんに、若し慧者見て、設し恚悩を生ぜば、応当に之を除くべし。

諸賢よ、仮にある人が、身の行いは不浄で言葉と心の行いが清浄である時、もし智慧ある者がこの人を見て怒りの心を起こしたならば、この怒りは除かなければならない。

当に云何が除く。諸賢、猶(ナ)ほ阿練若比丘(アレンニャビク)の、糞掃衣(フンゾウエ)を持するに、糞掃の中の所棄(ショキ)の弊衣(ヘイエ)、或いは大便に汙(ケガ)れ、或いは小便 洟唾(イダ)、及び余の不浄に染汙(ゼンナ)せられたるを見、

それでは、どのようにして除けばよいか。諸賢よ、それは閑寂処に住む僧が、糞掃衣を持つために、掃き溜めの中に捨てられたぼろの衣服を見て、もし大便や小便、 鼻水や唾、その他の汚物に汚れていたならば、

見已(ミオワ)りて左手に之を執り、右手に舒(ノ)べ張(ハ)りて、若し大便 小便 洟唾、及び余の不浄に汙さるる処に非ず、又穿たざる者をば、便ち裂きて之を取るが如し。

それを左手で取って右手で広げ、大便や小便、 鼻水や唾、その他の汚物で汚れていない所、また破れていない所を裂いて、糞掃衣にする布を取るようなものである。

是の如く諸賢、或いは一人有りて、身は不浄行に、口意は浄行ならんに、彼の身の不浄行を念(オモ)ふこと莫れ、但(タ)だ当に彼の口意の浄行を念ふべし。

このように諸賢よ、仮にある人が、身の行いは不浄で言葉と心の行いは清浄である時に、その人の身の不浄な行いを思ってはなりません。ただその人の、言葉と心の清浄な行いを思いなさい。

若し慧者見て、設し恚悩を生ずとも、応(マサ)に是(カク)の如く除くべし。」

もし智慧ある者が、そのような人を見て怒りの心を起こしたならば、このようにしてそれを除きなさい。」

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