袈裟功徳(7)

搭袈裟法
偏袒右肩
(ヘンダン ウケン)、これ常途(ジョウズ)の法なり。通両肩搭(ツウリョウケンタ)の法あり、如来および耆年老宿(ギネン ロウシュク)の儀なり。両肩を通ずといふとも、胸臆(キョウオク)をあらはすときあり、胸臆をおほふときあり。通両肩搭は、六十条衣以上の大袈裟のときなり。

袈裟を掛ける方法。
右肩だけを肌脱いで掛ける、これが袈裟を掛ける通常の方法です。また両肩を覆うようにして掛ける方法があります。これは仏や長老の僧の掛け方です。両肩を覆うといっても、それには胸を現わす場合と、胸を覆う場合とがあります。両肩を覆う掛け方は、六十条衣以上の大袈裟の時の方法です。

搭袈裟のとき、両端ともに左臂肩にかさねかくるなり。前頭(ゼントウ)は左端のうへにかけて、臂外(ヒゲ)にたれたり。大袈裟のとき、前頭を左肩より通して、背後にいだしたれり。このほか種々の著袈裟の法あり、久参咨問(キュウサン シモン)すべし。

袈裟を掛ける時には、袈裟の両端を共に左の臂と肩に重ねて掛けます。つまり前の袈裟の端は、左肩に掛けた袈裟の左端の上に掛けて、臂の外に垂らすのです。大袈裟の時には、前の袈裟の端を左肩の上から背後に出して垂らします。このほかにも袈裟を着ける様々な方法がありますから、よく研究し尋ねることです。

 梁 陳 随 唐 宋あひつたはれて数百歳のあひだ、大小両乗の学者、おほく講経の業をなげすてて、究竟(クキョウ)にあらずとしりて、すすみて仏祖正伝の法を習学せんとするとき、かならず従来の弊衣(ヘイエ)を脱落して、仏祖正伝の袈裟を受持するなり。まさしくこれ捨邪帰正(シャジャ キショウ)なり。

達磨の伝えた釈尊の正法が、中国の梁 陳 随 唐 宋へと伝わる数百年の間に、大乗小乗の学者の多くは、経典を学ぶことが仏法の究極ではないことを知って、経典の講義を捨てて、自ら進んで仏祖の伝えた正法を学びました。その時には必ず、今まで着ていた破れ衣を脱いで、仏祖の正しい伝統の袈裟を受けて護持しました。これらの人々は、まさしく邪道を捨てて正道に帰したのです。

如来の正法は、西天(サイテン)すなはち法本なり。古今(ココン)の人師(ニンシ)、おほく凡夫の情量局量の小見(ショウケン)をたつ。

釈尊の正法は、インドを本源とするものです。古今に於いて、人々の師となった者の多くは、凡夫の狭い浅はかな考えを立てて仏法としました。

仏界 衆生界(シュジョウカイ)、それ有辺無辺(ウヘン ムヘン)にあらざるがゆゑに、大小乗の教行人理、いまの凡夫の局量にいるべからず。

しかし、仏の世界や世の人々の世界は、有るというのでも無いというのでもありませんから、仏法の大乗小乗の教えとその行、修行者やその真理は、今の凡夫の小さい考えの中には入らないのです。

しかあるに、いたづらに西天を本とせず、震旦国(シンタンコク)にして、あらたに局量の小見を今案(コンアン)して仏法とせる道理、しかあるべからず。

それなのに、無駄なことには、インドの正法を根本に置かないで、中国に於いて、新たに狭い浅はかな考えによる仏法を、今様の仏法としている道理は、あってはならないことです。

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