袈裟功徳(8)

しかあればすなはち、いま発心(ホッシン)のともがら、袈裟を受持すべくば、正伝(ショウデン)の袈裟を受持すべし。今案(コンアン)の新作袈裟を受持すべからず。

そのようでありますから、今 仏道に志した人たちが袈裟を受ける時には、正しい伝統の袈裟を受けて護持するようにしなさい。今様の新作の袈裟を受けてはいけません。

正伝の袈裟といふは、少林(ショウリン)曹谿(ソウケイ)正伝しきたれる、如来の嫡嫡相承(テキテキ ソウジョウ)なり、一代も虧闕(キケツ)なし。

正しい伝統の袈裟とは、少林寺の達磨大師が伝え、そして曹谿山の六祖慧能禅師へと正しく伝えられた、釈尊から代々受け継いで一代も欠くことが無かった袈裟のことです。

それ法子法孫の著(ヂャク)しきたれる、これ正伝袈裟なり、唐土(トウド)の新作は正伝にあらず。

つまり釈尊の弟子や法孫が身に着けて来た袈裟が、正しい伝統の袈裟なのです。唐の国に於ける新作の袈裟は、正しい伝統の袈裟ではありません。

いま古今(ココン)に、西天(サイテン)よりきたれる僧徒の所著(ショジャク)の袈裟、みな仏祖正伝の袈裟のごとく著せり。一人としても、いま震旦(シンタン)新作の律学(リツガク)のともがらの所製(ショセイ)の袈裟のごとくなるなし。

更に古今に於いて、インドから来た僧たちが着けていた袈裟は、皆 仏祖の正しい伝統の袈裟と同じようなものでした。一人として、今の中国の新作である、律(僧の生活法)の学者たちが作ったような袈裟を着けた人はありませんでした。

くらきともがら、律学の袈裟を信ず、あきらかなるものは抛却(ホウキャク)するなり。

正しい伝統の袈裟を知らない者たちは、律の学者の袈裟を信じて着けていますが、よく知っている者はそれを捨てるのです。

おほよそ仏仏祖祖 相伝(ソウデン)の袈裟の功徳(クドク)、あきらかにして信受しやすし。正伝まさしく相承せり、本様(ホンヨウ)まのあたりつたはれり、いまに現在せり、受持あひ嗣法(シホウ)していまにいたる。受持せる祖師、ともにこれ証契伝法(ショウカイ デンポウ)の師資(シシ)なり。

おおよそ、仏祖が代々伝えて来た袈裟の功徳は明らかであって、それを信じ受け入れることは、たやすいことです。何故ならば、正しい伝統がまさしく代々受け継いで、袈裟本来の姿がそのまま伝えられて、今このようにあるからであり、仏祖が受けて護持し、法を継いで今に伝えたものであるからです。この袈裟を護持した祖師は、皆 仏の悟りを証明して仏法を伝えた師や弟子たちなのです。

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