道元禅師 正法眼蔵 現代訳の試み

帰依三宝(1)

(きえ さんぼう)

禅苑清規(ゼンネン シンギ)に曰(イハ)く、「仏法僧(ブッポウソウ)を敬うや否や。一百二十問第一。」

禅門の規範である禅苑清規には、「仏、仏の法、仏の僧団を敬っているであろうか。(一百二十問の第一)」とあります。

あきらかにしりぬ、西天東土(サイテン トウド)、仏祖正伝(ブッソ ショウデン)するところは、恭敬仏法僧(クギョウ ブッポウソウ)なり。帰依せざれば恭敬せず、恭敬せざれば帰依すべからず。

このことから明かに知られることは、インドや中国の仏祖の正しく伝えるところの教えは、仏、仏の法、仏の僧団を敬うということです。しかし、仏、仏の法、仏の僧団に帰依しなければそれらを敬うことは出来ないのであり、敬わなければ帰依することは出来ないのです。

この帰依仏法僧の功徳(クドク)、かならず感応道交(カンノウ ドウコウ)するとき成就(ジョウジュ)するなり。たとひ天上 人間 地獄 鬼畜なりといへども、感応道交すればかならず帰依したてまつるなり。

この、仏、法、僧団に帰依する功徳は、必ず仏、法、僧団とその心が相通じる時に成就するのです。たとえ天上界、人間界、地獄界、餓鬼や畜生界の者であっても、その心が仏、法、僧団と相通じれば、必ずその者は帰依し奉るのです。

すでに帰依したてまつるがごときは、生生世世(ショウジョウ セセ)、在在処処(ザイザイ ショショ)に増長(ゾウチョウ)し、かならず積功累徳(シャック ルイトク)し、阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラ サンミャクサン ボダイ)を成就するなり。

すでに仏、法、僧団に帰依し奉っている者は、未来永劫にあらゆる所でその功徳を増長し、功徳を積み重ねて、必ず仏の無上の悟りを成就するのです。

おのづから悪友にひかれ、魔障(マショウ)にあうて、しばらく断善根(ダン ゼンコン)となり、一闡提(イチセンダイ)となれども、つひには続善根(ゾク ゼンコン)し、その功徳増長するなり。帰依三宝の功徳、つひに不朽(フキュウ)なり。

たまたま悪友に引かれて魔障にあい、暫く善根を断って成仏しない者となっても、遂には善根を積む身となってその功徳を増長するのです。この三宝(仏、仏の法、仏の僧団)に帰依する功徳は、遂に朽ちることがないのです。

その帰依三宝とは、まさに浄信(ジョウシン)をもはらにして、あるひは如来現在世にもあれ、あるひは如来滅後にもあれ、合掌(ガッショウ)し低頭(テイヅ)して、口にとなへていはく、

三宝に帰依するとは、まさに清浄な信心を専らにして、或は如来(釈尊)が居られる世であれ、或は如来の滅後であれ、合掌し低頭して次のように口に唱えるのです。

「我某甲(ワレ ソレガシ)、今身(コンジン)より仏身(ブッシン)にいたるまで、仏に帰依す。法に帰依す。僧に帰依す。仏に両足の尊に帰依す。法に離欲の尊に帰依す。僧に衆中の尊に帰依す。仏に帰依し竟(オ)わる。法に帰依し竟わる。僧に帰依し竟わる。」

「私だれそれは、今日より仏身を成就するまで、仏に帰依いたします。仏の法に帰依いたします。仏の僧団に帰依いたします。仏である人間の中の尊き人に帰依いたします。仏の法である欲を離れた尊き人の教えに帰依いたします。仏の僧団である人々の中の尊き人々に帰依いたします。仏に帰依し終ります。仏の法に帰依し終ります。仏の僧団に帰依し終ります。」

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