供養諸仏(22)

(くようしょぶつ)

 塔龕(トウガン)とは、
(ソ)の時に波斯匿王(ハシノクオウ)、仏の所(ミモト)に往詣(オウケイ)して頭面(ズメン)に足(ミアシ)を礼(ライ)し、仏に白(マウ)して言(マウ)さく、
「世尊、我等 迦葉仏
(カショウブツ)の為に塔を作れり。龕(ガン)を作ることを得んや不や。」
仏の言はく、「得ん。」

 塔龕(塔下部の仏像を収める厨子)とは、
波斯匿王は塔を作ると、仏の所にやって来て、頭に仏の足を頂いて礼拝し、仏に申し上げた。
「世尊よ、我々は迦葉仏のために塔を建てました。その塔に龕(仏像を祀る厨子)を作ってもよろしいでしょうか。」
仏は「よろしい。」と答え、そして言われた。

「過去世の時、迦葉仏 般泥洹(ハツナイヲン)したまひし後、吉利王(キリオウ)、仏の為に塔を(タ)つ。

「過去の世の時代に、迦葉仏が入滅された後に、吉利王はその仏のために塔を建てられた。

面の四面に龕を作り、上に獅子像、種々の綵画(サイガ)を作る。前に欄楯(ランジュン)を作りて華処(ケショ)を安置し、龕の内には幡蓋(バンガイ)を懸(カ)く。

その塔の基壇の四面には龕が作られ、上には獅子の像と様々な美しい絵が描かれ、前には欄干を作って花を飾り、龕の内には旗と天蓋がつるされていたのである。」と。

(モ)し人、世尊は貪欲(トンヨク)瞋恚(シンイ)愚癡(グチ)(スデ)に除きたまふに、但(タダ)自ら荘厳(ショウゴン)して楽を受くと言はば、越毘尼罪(オツビニザイ)を得ん。業報(ゴッポウ)重からん。是を塔龕と名づく。」

もし、世尊は貪りの心、怒りの心、愚かな心を既に除いておられるのに、自らを飾って楽を享受していると言う人があれば、それは戒律を犯す罪となり、その行いの報いは重いことであろう。これが塔龕である。」

 あきらかにしりぬ、仏果菩提(ブッカボダイ)のうへに、古仏(コブツ)のために塔をたて、これを礼拝供養(ライハイクヨウ)したてまつる、これ諸仏の常法(ジョウホウ)なり。かくのごとくの事おほけれど、しばらくこれを挙揚(コヨウ)す。

 明らかに知られることは、釈尊は仏の悟りを得られた上で、昔の仏のために塔を建てて、礼拝し供養されたということです。これは諸仏の変わることのない作法なのです。このような事例は多いのですが、とりあえずこれを取り上げて示しました。

仏法は有部(ウブ)すぐれたり。そのなかに、僧祇律(ソウギリツ)もとも根本なり。僧祇律は、法顕(ホッケン)はじめて荊棘(ケイキョク)をひらきて、西天(サイテン)にいたり、霊山(リョウゼン)にのぼれりしついでに将来(ショウライ)するところなり。祖祖正伝(ソソショウデン)しきたれる法、まさしく有部に相応(ソウオウ)せり。

仏法の中では、有部(説一切有部 一派)の教えが優れています。その中でも僧祇律(僧の戒律について述べたもの)は、仏法の最も根本の教えと言うべきものです。この僧祇律は、中国の法顕が、初めて茨の道をかき分けて遠くインドへ行き、経典を学んで霊鷲山などの仏跡を巡ってきた折に将来したものです。歴代の祖師が正しく伝えてきた法は、まさしく有部の教えに合致しているのです。

供養諸仏(21)へ戻る

供養諸仏(23)へ進む

ホームへ