供養諸仏(6)

(くようしょぶつ)

舎利弗(シャリホツ)、是の万劫(マンゴウ)過ぎ已(オワ)りて、仏有りて出世したまふ。号して普守如来(フシュニョライ)、応供(オウグ)、正遍知(ショウヘンチ)、明行足(ミョウギョウソク)、善逝(ゼンゼイ)、世間解(セケンゲ)、無上士(ムジョウシ)、調御丈夫(チョウゴジョウブ)、天人師(テンニンシ)、仏世尊(ブツセソン)と曰(イ)ふ。

舎利弗よ、この一万劫を過ぎて仏が世に出現された。名付けて普守如来、応供(供養に値する者)、正遍知(正理を窮め尽くした知者)、明行足(智慧と実践の具わる者)、善逝(善所に行ける者)、世間解(世間を知解する者)、無上士(この上なき優れた人)、調御丈夫(如何なる者でもよく導く人)、天人師(人間や天衆を導く無上の師)、仏世尊(世に尊き仏)と呼ばれた。

我 爾(ソ)の時に、梵世(ボンセ)に命終(ミョウジュウ)して閻浮提(エンブダイ)に生まれ、転輪聖王(テンリンジョウオウ)と作(ナ)れり。号して共天(グウテン)と曰(イ)ふ。人寿(ニンジュ)九万歳なり。

私はその時に、梵天世界で命を終えて閻浮提(須弥山南方の人間世界)に生まれ、転輪聖王(偉大な統治者)となった。名を共天といい、寿命は九万歳であった。

我 形寿(ギョウジュ)を尽して、一切の楽具(ラクグ)を以て、彼の仏及び九十億の比丘(ビク)を供養せり。九万歳に於て、阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラサンミャクサンボダイ)を求めんが為なり。

そこで私は、身命の尽きるまで、あらゆる楽しきもので、その普守仏と九十億の比丘(出家僧)を供養した。それは九万歳の中に阿耨多羅三藐三菩提(仏の無上の悟り)を求めるためであった。

是の普守仏、亦 我に「汝 来世に於て当(マサ)に作仏(サブツ)を得べし。」と記せず。何を以ての故に、我 爾(ソ)の時に、諸法実相(ショホウジッソウ)に通達(ツウダツ)すること能(アタ)はず。計我(ケイガ)、有所得(ウショトク)の見(ケン)に貪著(トンジャク)したればなり。

しかしこの普守仏は、又私に、「お前は来世に仏となるであろう。」とは予言されなかった。何故なら、私はその時に、諸法実相(全ての存在は真実である)の道理に達することが出来ず、自我を認めて、得るものがある、という考えに囚われていたからである。

舎利弗、是の劫中に於て、百仏有りて出世したまふ。名号(ミョウゴウ)(オノオノ)異なれり。

舎利弗よ、その後、この劫の中に百の仏が出現された。その呼び名はそれぞれに異なっていた。

我時に皆 転輪聖王と作(ナ)りて、形を尽して仏及び諸の弟子を供養せり。阿耨多羅三藐三菩提を求めんが為なり。

私は、その時も皆、転輪聖王となって、身命の尽きるまで、その仏や多くの弟子たちを供養した。それは阿耨多羅三藐三菩提を求めるためであった。

(シカ)るに是の諸仏も、亦 我に「汝 来世に於て当に作仏を得べし。」と記せず。有所得なるを以ての故なり。

しかしこれらの諸仏も又、私に「お前は来世に仏となるであろう。」とは予言されなかった。私には求める心があったからである。

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