三時業(10)

先徳(セントク)曰く、「阿含(アゴン) 涅槃(ネハン)には同じく一劫(イッコウ)に在り、火に厚薄有り。」あるいはいはく、「唯 増せば苦を増すこと在るのみ。」

先の徳人が言うには、「阿含経や涅槃経には、逆罪をつくれば等しく一劫の間 阿鼻地獄にあり、しかも罪の数でその火に厚い薄いがあると説かれている。」と。またある人は、「罪が増せば苦も増す。」と。

いま提婆達多(ダイバダッタ)、かさねて三逆をつくれり、一逆つくれる罪人の苦には三倍すべし。しかあれども、すでに臨命終(リン ミョウジュウ)のときは、南無(ナム)の言をとなへて、悪心すこしきまぬかる。うらむらくは具足して南無仏(ナムブツ)と称せざること。

ただ今、提婆達多は三つの逆罪を重ねた訳ですから、逆罪一つの罪人の苦に比べれば、三倍の苦があることでしょう。しかし、もはや命が終わろうとする時に、「南無」という言葉を唱えて悪心を少しだけ免れました。ただ残念に思うことは、その時満足に「南無仏」と称えられなかったことです。

阿鼻(アビ)にしては、はるかに釈迦牟尼仏(シャカムニ ブツ)に帰命(キミョウ)したてまつる、続善ちかきにあり。なほ阿鼻地獄に四仏の提婆達多あり。

彼は、阿鼻地獄の中から遥かに釈迦牟尼仏に帰依し、親しく善根を積みました。今でも阿鼻地獄には四番目の仏といわれる提婆達多がいます。

瞿伽離比丘(クカリ ビク)は、千釈(センシャク)出家の時、そのなかの一人なり。調達(チョウダツ)、瞿伽離二人、出城門のとき、二人のれる馬、たちまちに仆倒(フトウ)し、二人むまよりおち、冠ぬけておちぬ。ときのみる人、みないはく、「この二人は仏法におきて益をうべからず。」

瞿伽離比丘は、千人の釈迦族が出家した時の、その中の一人でした。その時、調達(提婆達多)と瞿伽離の二人が城門を出ようとすると、二人の乗った馬が突然倒れ、二人は馬から落ちて冠が抜け落ちました。それを見た人は皆言いました。「この二人には仏法の利益はなかろう。」と。

この瞿伽離比丘、また倶伽離(グカリ)といふ。此生に舎利弗(シャリホツ)、目犍連(モッケンレン)を謗するに、無根の波羅夷(ハライ)をもてす。

この瞿伽離比丘は、又の名を倶伽離と言います。この人は生前に根拠なく、舎利弗や目犍連が波羅夷罪(重罪)を犯していると誹謗しました。

世尊みづからねんごろにいさめましますに、やまず。梵王(ボンノウ)くだりていさむるに、やまず。二尊者を謗するによりて、次生(ジショウ)に地獄に堕しぬ。いまに続善根の縁にあはず。

釈尊は自ら瞿伽離を制止しましたが止めませんでした。また梵天王が天から下りてきて彼を制止しましたが、それでも止めませんでした。瞿伽離は、この二人の尊者を誹謗したことで、次の生には地獄に堕ちました。彼は今になっても善根を育てる縁に会うことが出来ません。

四禅比丘(シゼン ビク)、臨命終(リン ミョウジュウ)のとき、謗仏せしによりて、四禅の中陰(チュウイン)かくれて、阿鼻獄の生相(ショウソウ)たちまちに現じてすなはち命終し、阿鼻地獄に堕せり。かくのごとくなるを、順次生受業(ジュンジショウジュゴウ)となづく。

また四禅比丘(四種の禅定を得て四果の悟りを得たと慢心する出家)は、命が終わる時に仏を謗ったことで、四禅の中陰が隠れて阿鼻地獄の相がたちまち現れ、死後には阿鼻地獄に堕ちました。このような例を順次生受業と言います。

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