三時業(18)

世尊 言(ノタマ)はく、
「仮令
(タトイ)百千劫(ゴウ)を経(フ)とも、所作の業(ゴウ)は亡ぜず。因縁会遇(インネン エグウ)の時には、果報還って自ら受く。

世尊(釈尊)の言うことには、
「たとえ百千劫という長い時を経るとも、作った善悪の業はなくなることはない。その因縁が熟すれば、果報はその人自らが受けるのである。

汝等 当に知るべし、若し純黒業(ジュン コクゴウ)ならば、純黒の異熟(イジュク)を得、若し純白業(ジュンビャクゴウ)ならば、純白の異熟を得、若し黒白業ならば、雑(ゾウ)の異熟を得ん。

お前たちはよく心得ておきなさい。その業が、もし純黒の悪業であれば、純黒の悪しき果報を得、もし純白の善業であれば、純白の善き果報を得、もし黒白の混ざる業であれば、善悪混ざった果報を得るのである。

是の故に汝等、応に純黒及び黒白の雑業(ゾウゴウ)を離るべし。当に勤めて純白の業を修学すべし。」

この故にお前たちは、純黒の業や黒白混ざった業から離れなさい。そして、純白の業を修めることに努めなさい。」と。

時に諸の大衆、仏説を聞き已って、歓喜し信受しき。

この時、法会に集まった人たちは、仏の教えを聞き終わると、歓喜して信奉しました。

世尊のしめしましますがごときは、善悪の業つくりをはりぬれば、たとひ百千万劫をふといふとも不亡なり。もし因縁にあへば、かならず感得す。

世尊のお示しになったことは、善悪の業を作り終われば、たとえ百千万劫の時を経てもなくならず、もし因縁が熟すれば、必ず果報を感受するということなのです。

しかあれば、悪業は懺悔(サンゲ)すれば滅す、また転重軽受す。善業は、随喜すればいよいよ増長するなり。

そういうことで、悪業は懺悔すれば滅するか、又は重いものも軽くなるのであり、善業は喜び修めれば、いよいよ増していくのです。

これを不亡といふなり、その報なきにはあらず。

これが業はなくならないということであり、その果報が無いわけではありません。

正法眼蔵 三時業

三時業 おわり。

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