菩提薩埵四摂法(5)

利行(リギョウ)といふは、貴賤(キセン)の衆生におきて、利益(リヤク)の善巧(ゼンギョウ)をめぐらすなり。たとへば、遠近(オンゴン)の前途(ゼント)をまぼりて、利他の方便をいとなむ。

利行とは、貴賤の人々のために、利益となるよい手だてをめぐらすことです。たとえば、遠近の行く先を見守って、他を利益する方策に励むのです。

窮亀(キュウキ)をあはれみ、病雀(ビョウジョク)をやしなふべし。窮亀をみ、病雀をみしとき、かれが報謝(ホウシャ)をもとめず、ただひとへに利行にもよほさるるなり。

むかし功愉(コウユ)が籠の中の亀を哀れんで放してやったことや、楊宝(ヨウホウ)が傷ついた雀を養い助けたという故事に学びなさい。彼等が、その亀や雀を見て助けた時は、その報いや感謝を求めずに、ただひたすら利行の思いにせきたてられたのです。

愚人おもはくは、「利他をさきとせば、自(ミズカラ)が利はぶかれぬべし。」と。しかにはあらざるなり。利行は一法なり、あまねく自他を利するなり。

愚かな人の思うには、「他の利益を優先すれば、自分の利益が除かれてしまう。」と。そうではありません。利行は仏法の一つであり、広く自他を利益するものなのです。

むかしの人、ひとたび沐浴(モクヨク)するに、みたびかみをゆひ、ひとたび飡食(サンジキ)するに、みたびはきいだせしは、ひとへに他を利せしこころなり。ひとのくにの民なれば、をしへざらんとにはあらざりき。

昔、周公という人は、来客があれば、一度の入浴に三度でも髪を結い直して迎え、一度の食事に三度でも吐き出して応対したといわれるのは、ひたすら他を利益しようという心からでした。地方の国の民だから教えないというのではなかったのです。

しかあれば、怨親(オンシン)ひとしく利すべし、自他おなじく利するなり。

ですから、憎い人でも親しい人でも区別せずに、等しく利益しなさい。そうすれば自他同じく利益があるのです。

もしこのこころをうれば、草木風水(ソウモク フウスイ)にも利行のおのれづから不退不転なる道理、まさに利行せらるるなり。ひとへに愚をすくはんといとなむなり。

もしこの平等の心を得れば、草木や風水にも、利行の自ずから不退転に行われている道理があるように、まさに利行されるのです。ですから、ひたすら衆生の愚を救おうと営みなさい。

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