道元禅師 正法眼蔵 現代訳の試み

四禅比丘(1)

(しぜんびく)

第十四祖 龍樹祖師(リュウジュ ソシ)言はく、
仏弟子の中に一比丘
(イチ ビク)有り、第四禅を得て、増上慢(ゾウジョウマン)を生じ、四果(シカ)を得たりと謂(オモ)へり。

第十四祖、龍樹祖師の言うことには、
仏(釈尊)弟子の中の出家の一人に、四つの禅定の中の、第四の禅定(ゼンジョウ)を得たことで、慢心して四果(四つ聖者の悟り)を得たと思った者がいた。

初め初禅(ショゼン)を得て、須陀洹果(シュダオンカ)を得たりと謂ひ、第二禅を得し時、是(コレ)を斯陀含果(シダゴンカ)と謂ひ、第三禅を得し時、是を阿那含果(アナゴンカ)と謂ひ、第四禅を得し時、是を阿羅漢(アラカン)と謂へり。

その者は、初めに初禅定を得て、聖者の最初の悟りである須陀洹果を得たと思い、第二の禅定を得た時には、これを聖者の第二の悟りである斯陀含果を得たと思い、第三の禅定を得た時には、これを聖者の第三の悟りである阿那含果を得たと思い、第四の禅定を得た時には、これを究極の聖者である阿羅漢を得たと思った。

是を恃(タノ)んで自ら高ぶり、復(マタ)進むことを求めず。命 尽きなんと欲(ホッ)する時、四禅の中陰(チュウイン)の相 有って来たるを見て、便(スナハ)ち邪見を生じ、涅槃(ネハン)無し、仏 為に我を欺(アザム)くと謂へり。

彼はこれによって自ら慢心し、更に修行を進めようと思わなかった。そうして自分の命が尽きようとした時に、四禅天(四禅定を修めた者が生まれる天界)に生まれる中陰(死んでから次に生まれ変わるまでの期間)の相が現れたのを見て、そこで邪念を起こし、「阿羅漢ならば天界に生まれずに、煩悩を滅ぼし尽くした涅槃に入るはずである。なのに涅槃は無かった。仏は私のことを欺いたのである。」と思った。

悪邪見(アク ジャケン)の故に四禅の中陰を失ひ、便ち阿毗泥犁(アビナイリ)の中陰の相を見、命終(ミョウジュウ)して即ち阿毗泥犁の中に生ず。

彼は悪しき邪念を起こしたために四禅天の中陰を失い、阿鼻地獄の中陰の相が現れて、命が終ると阿鼻地獄の中に生まれた。

(モロモロ)の比丘 仏に問うて曰(イハ)く、「阿蘭若比丘(アランニャ ビク)、命終して何(イズ)れの処にか生ぜる。」
仏の言
(ノタマ)はく、「是の人は阿毗泥犁の中に生ず。」
諸の比丘 大
(オオイ)に驚き、「坐禅 持戒して便(スナハ)ち爾(シカ)るに至る耶(ヤ)。」

出家の弟子たちは仏に尋ねた、「この出家は、命を終えてから何処に生まれたのでしょうか。」
仏は答えた。「この人は阿鼻地獄の中に生まれたのである。」
弟子たちは大変驚いて言った。「坐禅 持戒した出家が、どうして地獄に行くのでしょうか。」

仏 前(サキ)の如く答へて言(ノタマ)はく、
「彼は皆 増上慢
(ゾウジョウマン)に因る。四禅を得る時、四果を得たりと謂へり。臨命終(リン ミョウジュウ)の時に、四禅の中陰の相を見て、便ち邪見を生じ、謂へらく涅槃(ネハン)無し、我は是れ羅漢なり、今 還って復 生ず、仏は虚誑(コオウ)を為せりと。是の時 即ち阿毗泥犁の中陰を見、命終して即ち阿毗泥犁の中に生ず。」

仏は前のように答えて言われた。
「彼が阿鼻地獄に生まれたのは、皆 慢心を起こしたことが原因である。彼は四禅定を得た時に四果を得たと思った。そのために、臨終の時になって四禅天の中陰の相が現れたのを見て邪念を起こし、「阿羅漢の涅槃は無かった。私は阿羅漢であり、更に生まれる所は無いはずである。それなのに今また天界に生まれようとしている。仏は私に嘘を言ったのである。」と思った。それでこの時、阿鼻地獄の中陰の相が現れ、命が終って阿鼻地獄の中に生まれたのである。」と。

(コ)の時、仏 偈(ゲ)を説いて言(ノタマ)はく、
「多聞
(タモン)、持戒(ジカイ)、禅も未だ漏尽(ロジン)の法を得ず、此の功徳(クドク)有りと雖も、此の事 信ずべきこと難し、獄に堕つることは謗仏(ボウブツ)に由(ヨ)る、第四禅に関(カカ)わるに非ず。」

そしてこの時、仏は偈文を説かれた。
「教えを多く聞き、戒を保ち、禅定を修めても、まだ煩悩を尽くした法は得られない。何故なら、これらには功徳があるけれども、煩悩を尽した法は信じることが困難だからである。彼が地獄に堕ちたのは、仏を謗ったことが原因であり、第四の禅定には関係しない。」と。

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