出家功徳(12)

釈迦牟尼仏(シャカムニブツ)、五百大願の中の第一百三十七願、
「我 未来に正覚を成じ已
(オワ)りて、或は諸人有りて、我法の中に於いて出家せんと欲する者には、願わくは障礙(ショウゲ)無からんことを。所謂(イワユル) 羸劣(ルイレツ) 失念 狂乱 驕慢にして畏懼(イク)有ること無く、癡にして智慧無く、諸の結使(ケッシ)多く、其の心散乱なり。若し爾(シカ)らざれば正覚(ショウガク)を成ぜじ。」

釈迦牟尼仏の五百大願の中の、第一百三十七願、
「私が未来に仏の悟りを得てから、もし人々が私の法の中で出家したいと望めば、私はその障害をなくしてあげたいと思う。出家の障害とは、根気がなく教えを忘れやすいこと、心が乱れ狂うこと、驕慢の心をおこし畏れ慎みがないこと、愚かで智慧がなく、多くの煩悩によって心が散乱することである。もしその障害を除くことが出来なければ、私は決して仏の悟りに入ることはない。」

第一百三十八願、
「我 未来に正覚を成じ已りて、若し女人有りて、我法に於いて出家学道し、大戒を受けんと欲する者には、願わくは成就せしめん。若し爾らざれば正覚を成ぜじ。」

第一百三十八願、
「私が未来に仏の悟りを得てから、もし女人の中で私の法によって出家学道し、大戒を受けたいと望む者があれば、私はその望みをかなえてあげたいと思う。もしそれが出来なければ、私は決して仏の悟りに入ることはない。」

第三百十四願、
「我 未来に正覚を成じ已りて、若し衆生有りて、善根少なからんに、善根の中に於いて、心に愛楽
(アイギョウ)を生ぜば、我 当に其れをして、未来世に於いて、仏法の中に在りて、出家学道せしむべし。安止して梵浄(ボンジョウ)の十戒に住せしめん。若し爾らざれば正覚を成ぜじ。」

第三百十四願、
「私が未来に仏の悟りを得てから、もし人々に善根が少なくても、善根を心から願い求める者があれば、私はその者を、来世には仏法の中で出家学道させよう。そして出家の生活に安らいで清浄な十戒を保つようにしてあげよう。もしそれが出来なければ、私は決して仏の悟りに入ることはない。」

しるべし、いま出家する善男子 善女人、みな世尊の往昔(オウシャク)の大願力にたすけられて、さはりなく出家受戒することをえたり。如来すでに誓願して出家せしめまします。あきらかにしりぬ 最尊最上の大功徳なりといふことを。

知ることです、このように、今日出家した善男子 善女人は、皆 釈尊の昔の大願力に助けられて、障り無く出家受戒することが出来たのです。このように、如来はすでに誓願して皆を出家させたのです。明らかに知られることは、出家受戒は最尊最上の大功徳であるということです。

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