出家功徳(16)

三世十方諸仏、みな一仏としても、在家成仏の諸仏ましまさず。過去 有仏(ウブツ)のゆゑに、出家受戒の功徳あり。衆生の得道、かならず出家受戒によるなり。おほよそ出家受戒の功徳、すなはち諸仏の常法なるがゆえに、その功徳無量なり。

三世(過去 現在 未来)十方(すべての方角)の諸仏は皆、一人として在家のままで仏となった方はおられません。過去に仏がおられるのは、出家受戒の功徳なのです。ですから、衆生が仏道を悟るには、必ず出家受戒することが大切です。およそ出家受戒の功徳は、それが諸仏の変わらぬ作法であることから分かるように、その功徳は無量なのです。

聖教(ショウギョウ)のなかに在家成仏の説あれど、正伝にあらず。女身成仏の説あれど、またこれ正伝にあらず。仏祖正伝するは、出家成仏なり。

聖教の中には、在家のままで仏になるという説もありますが、これは仏祖の正しく伝えた教えではありません。また女身のままで仏になるという説もありますが、これもまた仏祖の正しく伝えた教えではありません。仏祖の正しく伝えてきた教えは、出家して仏になるということです。

第四祖 優婆毱多尊者(ウバキクタ ソンジャ)、長者の子あり、名を提多迦(ダイタカ)といふ。来りて尊者を礼(ライ)し、出家を志求す。

釈尊から第四祖、優婆毱多尊者の所に、長者の子で提多迦という者が来て、尊者を礼拝して出家を願い出た。

尊者曰く、「汝 身の出家なりや、心の出家なりや。」 答えて曰く、「我 出家を求むるは身心の為に非ず。」 尊者曰く、「身心の為にせず、復誰か出家する。」

尊者が言うには、「あなたが願うのは身の出家か、それとも心の出家か。」
提多迦答えて、「私が出家を願うのは、自分の身や心のためではありません。」
尊者は尋ねて、「自分の身心のためでなければ、一体 誰が出家するのか。」

答えて曰く、「夫れ出家は、我我所(ガガショ)無し。我我所無きが故に、即ち心 生滅せず。心 生滅せざるが故に、即ち是れ常道なり。諸仏も亦 常なり、心 形相(ギョウソウ)無く、其の体も亦然り。」

提多迦答えて、「そもそも出家者には、私も 私の所有物もありません。私も 私の所有物も無いので、心は生じることも滅することもありません。心は生じることも滅することもないので、これは恒常不変の道です。諸仏もまた恒常であり、心に決まった姿はなく、その本体もまた同様です。」

尊者曰く、「汝 当に大悟して心 自ら通達すべし。宜しく仏法僧に依りて聖種(ショウシュ)を紹隆(ショウリュウ)すべし。」 即ち与(タメ)に出家受具せしむ。

尊者の言うには、「それなら、あなたは先ず大悟して心を自ら知りなさい。そして仏 法 僧に従って聖者の種を受け継ぎ、繁栄させなさい。」  そこで尊者は提多迦を出家させ戒を授けました。

出家功徳(15)へ戻る

出家功徳(17)へ進む

ホームへ