出家功徳(25)

その出家行法に四種あり、いはゆる四依(シエ)なり。
一、形寿
(ギョウジュ)を尽くして樹下(ジュゲ)に坐す。
二、形寿を尽くして糞掃衣
(フンゾウエ)を著(ツ)く。
三、形寿を尽くして乞食
(コツジキ)す。
四、形寿を尽くして病有れば陳棄薬
(チンキヤク)を服す。

出家行法(出家の修行方法)には四種があり、それは四依(四つのより所)と言われるものです。
一つには、生涯 木の下に坐して修行する。
二つには、生涯 糞掃衣(捨てられたぼろ布で作った袈裟)を着て修行する。
三つには、生涯 人々に食を乞うて修行する。
四つには、生涯 病気になれば陳棄薬(あまり使われない昔の薬)を服して癒す。

共に此の法を行ぜば、方(マサ)に出家と名づけ、方に名づけて僧と為す。若し此を行ぜざれば、名づけて僧と為さず。是の故に出家行法と名づく。

これらの修行方法を共に行じれば、まさに出家と名付け、僧と名付けるのです。もしこれらの事を行じなければ、僧と名付けることは出来ません。この故に出家行法と名付けるのです。

いま西天(サイテン)東地、仏祖正伝するところ、これ出家行法なり。一生不離叢林(イッショウ フリソウリン)なれば、すなはちこの四依の行法そなはれり。これを行四依(ギョウ シエ)と称す。これに違して五依(ゴエ)を建立(コンリュウ)せん、しるべし、邪法なり。たれか信受せん、たれか忍聴(ニンチョウ)せん。

今、インドや中国に於いて、仏祖が正しく伝えてきたものは、この出家行法です。一生修行道場を離れなければ、この四依の行法は具わるのです。これを行四依と言います。これに背いて五依(五つのより所)を立てる説もありますが、それは邪法であると知りなさい。誰が一体信じて聞き入れるものでしょうか。

仏祖正伝するところ、これ正法なり。これによりて、出家する人間、最上最尊の慶幸(ケイコウ)なり。

仏祖の正しく伝えた出家行法は釈尊の正法です。これによって出家する人は、最上最尊の幸福なのです。

このゆゑに、西天竺(サイテンジク)国にはすなはち難陀(ナンダ)、阿難(アナン)、調達(チョウダツ)、阿那律(アナリツ)、摩訶男(マカナン)、抜提(バダイ)、ともにこれ師子頬王(シシキョウオウ)のむまご、刹利種姓(セツリシュショウ)のもとも尊貴なるなり、はやく出家せり。後代(コウダイ)の勝躅(ショウチョク)なるべし。

この故に西方のインド国では、難陀、阿難、提婆達多、阿那律、摩訶男、抜提など、すべて師子頬王の孫で、王族の最も尊貴な人たちでしたが、皆釈尊に従って速やかに出家したのです。これは、後の人々への勝れた足跡です。

いま刹利にあらざらんともがら、そのみをしむべからず。王子にあらざらんともがら、なにのをしむところかあらん。

まして今、王族でない人たちは、その身を惜しんではいけません。王子でない人たちには、何の惜しむ所がありましょう。

閻浮提(エンブダイ)最第一の尊貴より、三界(サンガイ)最第一の尊貴に帰するは、すなはち出家なり。自余の諸小国王、諸離車衆(ショリシャシュ)、いたづらにをしむべからざるををしみ、ほこるべからざるにほこり、とどまるべからざるにとどまりて出家せざらん、たれかつたなしとせざらん、たれか至愚(シグ)なりとせざらん。

インド国の最も尊貴な王族から庶民に至るまで、この世界で最も尊貴な仏に帰依して出家したのです。まして、その他の多くの小国の王や民衆が、いたずらに惜しむべきでないものを惜しみ、誇るべきでないのに誇り、止まるべきでない所に止まって、出家しないことは、誰が見苦しい事としないでしょうか。誰が愚かの至りとしないでしょうか。

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